無為のmillefeuilleあるいはBaumkuchen

私自身の問題を多少なりとも解消させ、無為や泰然自若を養うための墓所

237回目

おそ幼女、三方四四古です。

 

えーと、本日は即興所感です。

 

はい。

 

あと、いつもよりも早い時間です。

 

ええ。

 

土曜日跨ぎの日曜日。

 

こんなに早く来たことはないのではないかと思います。

 

ええ。

 

noteにもアメブロにも書きましたけども。

 

やっぱりはてなさんにも書いてしまいました。

 

はい。

 

それくらい興奮があるという事です。自分でも。

 

はい。

 

という訳で、即興バトル所感ですけども、

 

今週は、お題明るい靴。必須要素はうへへ。

 

でした。

 

はい。

 

まあ、実質お題だけ何とかしたら行ける感じでした。

 

うん。

 

うへへなんてもう言っとけばいいんだから。どっかで言っておけばそれで終わりですからね。

 

ただまあ、一回だとあまりにもとってつけた感じがあるかと思って二回使いましたけども。

 

はい。

 

で、

 

明るい靴という事で、どう考えても子供の頃履いてた靴に付いてた蛍光反射板的なものを思い浮かべずにはいられませんでした。

 

ええ。

 

他の皆様はどう思われているのか、あるいは関東圏は違ったりとかそういうのがある可能性はありますが、

 

私が子供の頃って言うのは、みんなもっさりした格好をしてました。

 

はい。

 

モー娘。とか出てくる前の話です。

 

子供という分類にも、それ相応の格好がありました。

 

もっさりしとけ。

 

的な。

 

という訳で皆もっさりしてました。

 

私のイメージとしては小学校時代の着衣水泳の授業のみんなの格好です。

 

何も、他人の事を言うつもりはこれっぽっちも無いですし、

 

私だって皆に負けず劣らずもっさりした格好してたからあれなんですけども、

 

皆農家の子供みたいな恰好でした。

 

はい。

 

昭和の時代の子供が、みんなのイメージの中ではだしのゲンみたいな恰好でイメージされてるのと似ていて、

 

昭和時代に生まれたけど、すぐに平成に入って、で、モー娘。等々が出現して、小さい子供でも色気づく時代が来る。

 

その手前。

 

その手前の私達というのはもうあれでしたね。

 

あの時の写真が残っていたとしたら、絶対に資料写真になると思える。

 

社会科の資料集に載るまである。

 

それくらいもっさりしているわけです。もっさりとしていたんです。私は今ももっさりしてるけども。

 

ただ誰も彼も寝間着みたいな。

 

今でいう所の上下同じ色の夜中にドンキに行くような恰好っていうか。

 

うん。

 

他人の注目を集めたいがためにジーパンで来た人とかいましたけどね。

 

でも、

 

それくらいです。

 

スカートとかは一切無かったですね。

 

うん。

 

だから正直今の子供を見ると、

 

別に人の親でも何でもない私ですけど、

 

そんな私ですら、

 

「すげーおしゃれ」

 

って思う。

 

うん。

 

勿論関東圏バフとかあるかもしれないけどさ。

 

でも、

 

それにしたってシャレオツですよね。

 

ええ。

 

あるいは親の着せ替え人形になってるのかもしれないけど。

 

まあそんな訳で、当時のそんな頃を思い出しつつ、私は今回蛍光靴の話を書いてました。

 

はい。

 

ちなみに、タイトルにある傾国。

 

これはグーグルで調べると思に、美女という言葉の枕につく言葉なんだそうです。

 

大体、

 

傾国って言ったら美女。

 

傾国の美女。

 

美女以外の枕に使われることはないような印象の言葉です。言葉だそうです。そう言う印象。

 

だから、

 

傾国だけ単独でタイトルに使うのはおかしいかもしれないんですけど、

 

でもね、

 

蛍光靴って入れようとして入れ間違えて、

 

傾国靴になったんですよ。

 

だから、もうタイトルはそれでいいかと思って。

 

うん。

 

で、じゃあ美女付けたらいいんだろって思って、新聞の広告にモデルさんを出したりしました。

 

はい。

 

で、暗くなった日本で、その靴がありがたがられて、で、避難所でモデルを務めたその女性がアイコンのように崇めらてる。

 

って、

 

そういう所まで書きたかったんですけども。

 

まあ、

 

一時間でそこまで出来るわけねえからね。

 

私がね。

 

そこまで行ったらそれはもう頂点だから。

 

うん。

 

私が頂点まで行けるわけないじゃん。

 

うん。

 

という訳で、まあ語り手一人しか出てない話になりましたけども、

 

でも、

 

自分の暗中模索の日々に比べたら、この程度の暗闇。みたいな感じで思ってる最後はよかったかなと。

 

はい。

 

あの後話の中の語り手も避難所に行くのか、あるいは何とかして過ごすのか、あるいはドラゴンヘッドの様な感じになるのか、それはわかりません。

 

考えてません。

 

はい。