無為のmillefeuilleあるいはBaumkuchen

私自身の問題を多少なりとも解消させ、無為や泰然自若を養うための墓所

666回目

おそ幼女、三方四四古です。

 

えーっと、今日は先日の続き、

 

三津田さんの蛇棺葬を終えて、

 

百蛇堂の話になりますけども。

 

当時、

 

本で、この二冊を購入した時の私の感情から。

 

ですけども、

 

当時の私にとって、この百蛇堂という、三津田さんの蛇棺葬、百蛇堂からなる、書誌の、

 

この百蛇堂の方は、

 

もう全くあれ。

 

私。

 

遠い。

 

状態にありました。

 

ええ。

 

なにせ、蛇棺葬の方が全然読めなかったから。

 

うん。

 

これまた恐ろしい相手に相対するっていうのがあったし、

 

あと、

 

なんでしょうね。

 

作者不詳の方は、あれは、なんというか、

 

大きな話の中に、小さなっていう事じゃないけど、大きな話の中に、いくつかのエピソードが、また入ってて、

 

単独の。

 

だから、

 

息継ぎしやすかったというか。

 

はい。

 

とめ所、っていうか、

 

セーブポイントっていうか、

 

そういうのがあって、

 

読みやすかった。

 

読みやすかった?

 

読めたんですけども。

 

でも、

 

この蛇棺葬、百蛇堂に関しては、

 

どうやら怪しいという思いがあって。

 

うん。

 

なんか、息継ぎできなさそう。

 

例えるなら、

 

みみそぎ。

 

あれって、私の中で、

 

とめ所が無かったんですけども、

 

ああいう感じ。

 

に見えた。感じたんです。

 

この蛇棺葬、百蛇堂の、

 

蛇棺葬の方の最初で。

 

そう感じで。

 

はい。

 

だから、読めなかったって言うのもあるかもしれません。

 

私って別に高い壁に登ろうとするタイプじゃないから、

 

髙ければ高いほど燃えてくるとか、そういうの無いので。

 

ええ。

 

だからね、

 

当時の私からしてみたら、

 

こちらの下巻、百蛇堂、

 

の方なんてもうあれです。

 

あれでした。

 

未開の地っていうか。

 

はい。

 

南極で言うと、到達不能極みたいな。

 

海底みたいな。

 

そういう感じ。

 

ヒマラヤとかアイガーとかチョモランマとかそういう感じ。

 

だから、

 

だからまずね、

 

上巻、

 

蛇棺葬を読み終えた時、

 

長い長い男の話は――――

 

って言う所まで行った時、

 

それなりに、感動しました。

 

ええ。

 

で、

 

百蛇堂はもう、

 

すらすら読めました。

 

はい。

 

三津田さんが、

 

あーっと、

 

作者が語りだったから。

 

慣れてましたよね。

 

ええ。

 

ありがとうございます!

 

っていう感じ。

 

うん。

 

安心感。

 

実家のような安心感。

 

安積班シリーズみたいな安心感。

 

ありました。

 

ええ。

 

でもまあ、

 

十六、十七、十八のあたりの話の流れには驚きましたよ。

 

ええ。

 

それはもう驚きました。

 

もしかしたら私が一番ゾッとしたのはあのあたり。

 

うん。

 

でもこれはあれですよ。

 

そこだけ読んでもダメよ。

 

段積みしてきたものがあるから、

 

蛇棺葬読んで百蛇堂読んだから、そう感じるのよ。

 

だから、

 

十七、十八のあたりなんて本当に恐ろしかった。

 

うん。

 

嘘だろおい。

 

って思いましたよ。

 

ええ。

 

それはもう、

 

堪能しました。

 

私。

 

本で、紙媒体で読めなくてごめんなさいとさえ思いました。

 

はい。